所沢に最古の古文書があった!
「所沢なび」ボランティアライター“ぶん”です。
所沢に最古の「漆紙文書(うるしがみもんじょ)」があったことご存知でしょうか?
「漆紙文書(うるしがみもんじょ)」とはいったい何?
漆紙文書(うるしがみもんじょ)とは、官衙(かんが)、官庁や寺院などで不用となった廃棄文書を漆容器の蓋紙としてかぶせられ、それによって漆が付着したことで、土の中で腐らずに残存した古代の文書のことです。
所沢市に残存する「漆紙文書」は断片ですが、最古の文書として貴重なものです。
漆紙文書 具注暦(ぐちゅうれき)・馬の絵(複製)
前回に引き続き、市立南陵中学校を中心とした「東の上遺跡(あずまのうえいせき)」で出土した「漆紙文書」を取り上げてみました。
所沢市南住吉の南陵中学校を中心として東西1キロ、南北300メールの地域のこれまでの調査による旧石器時代 ・ 縄文時代 ・ 弥生時代 ・ 奈良時代 ・平安時代 ・ 近世の6つの時代にまがる複合遺跡であることが確認されています。
「東の上遺跡」は第36次調査で奈良 ・ 平安時代の古代の幹線道路が見つかり、調査では全長100メール、幅12メールの道路跡は、7世紀後期に建設された、古代律令制国家においての、都と地方機関を結ぶための幹線道路の一つである「東山道武蔵路(とうさんどうむさしのみち)」と考えられているそうです。
東の上遺跡
「東の上遺跡」の出品については、墨書土器(ぼくしょどき)、朱墨付着硯(しゅぼくふちゃくすずり)、鉄製馬具、馬の歯、金環(きんかん)、丸鞆(まるとも)、また一般集落では出土しない「漆紙文書(うるしがみもんじょ)」が出土しています。所沢市に残存する最古の文書として貴重なものです。
漆紙文書(実物)
昨年11月所沢市生涯学習推進センターで開催された「所沢市文化財展」にて。
【「漆紙文書」が出土した状態】
「漆紙文書」は第53次の8号居住跡からは、県内2例目となる貴重な出土で、研究者から大変注目を浴びる資料となったそうです。
所沢市埋蔵文化財調査報告書第3集によると「居住のプランは、東西2.45m・南北2.53mの方形を呈する居住跡である。(中省略)構築材は黄褐色の砂質粘土を使用している。出土遺跡は、カマド内より平瓦破片、中央部覆土内の床面から8センチ浮いて「漆紙」が出土している」と書かれてあります。
第8号住居跡遺跡物出土状態
第8号住居跡遺跡物出土状態
【漆紙文書の内容】
漆紙文書は、表面には具注暦(ぐちゅうれき)と呼ばれる奈良・平安時代の暦の一部が記されており、文字を赤外線を当てることで読み取ることができるそうです。
「大小歳對」 「加冠吉」 「川」 「懐」
漆紙文書(表)釈文
暦の裏面に「馬」の絵が描かれています。
具注暦(ぐちゅうれき)・馬の絵(複製)
漆紙文書(裏)
漆紙文書(表)
※具注暦(ぐちゅうれき)とは、日本の朝廷の陰陽寮が作成し頒布していた暦です。 吉凶判断のための様々な暦注が記載されていたことから、注が具(つぶ)さに記入されているということで、このように呼ばれています。
私たちの生活には欠かすことができない「紙」いつ頃から日本に伝わってきたのでしょうか?
調べてみると610年、朝鮮半島高句麗の曇徴(どんちょう)という僧によって伝えられたとされています。
奈良時代、紙は改良が重ねられ、日本独自の和紙として発達していきました。当時紙は高価なもので、仏教において経典を書写することに使われ、のち平安時代に貴族などが和歌や漢文、などにも使われるようになります。江戸時代に一般の生活にも使われるようになったようです。
東の上遺跡で出土した、墨書土器(ぼくしょどき)、朱墨付着硯(しゅぼくふちゃくすずり)、漆紙文書(うるしがみもんじょ)、鉄製馬具、馬の歯、金環(きんかん)、丸鞆(まるとも)などは、所沢市立埋蔵文化財調査センターで見ることができます。
前回の「東の上遺跡」記事は→こちら
所沢市立埋蔵文化財調査センター
住所:埼玉県所沢市北野2丁目12−1
電話番号:04-2947-0012
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参考文献: 東の上遺跡 ・ 漆紙文書と漆工房 ・ 久米の歴史 ・ 所沢市史