大谷翔平選手が愛されるワケ
アメリカで現地取材をするスポーツ記者
所沢出身のノブ斎藤さんにインタビュー
▲日本人記者の囲み取材を受ける大谷翔平選手 (エンゼルス提供)
今シーズンのアメリカ・メジャーリーグ(MLB)開幕のめどが立っていませんが、メジャーリーグ、エンゼルスの大谷翔平選手担当記者として、日本に現地情報を伝えてくれている日刊スポーツの斎藤庸裕(のぶひろ)さんを1月に取材したインタビューをお届けします。
インタビュー取材:2020年1月12日
記事公開:2020年4月18日 成田知栄子
斎藤記者は、生まれも育ちも所沢の〝所沢っ子〟。自らも少年時代から野球をはじめ、現在は、日刊スポーツ新聞のMLBのエンゼルス、大谷翔平をメインで取材を担当。「ノブ斎藤」という愛称でコラムも配信しています。
シーズンオフ中の今年1月に一時帰国した際、所沢なびの取材を依頼し、大谷翔平選手の魅力やアメリカに渡ったいきさつなどをうかがいました。
1.大谷翔平選手の人柄
—— 大谷翔平選手は、アメリカでも大人気ですね。「オオタニさんグッズ」の売れ行きも絶好調というニュースも見ました。子どもからお年寄りまでアメリカ人の心をつかんでいるのは、大谷選手のどういうところだと思いますか?
ノブ斎藤:
まず、大谷選手の笑顔ですよね。本当によく笑うし、さわやかで、すごく明るい。チームメイトが以前、大谷選手が「いつも笑っているので、こっちまで楽しくなる」と言っていました。ムードメーカーでもあるのかなと思いますね。
それに、ファンに対しても、取材するメディアや関係者に対しても、誰にでもいつも公平に対応していますね。そういうところからも、好感度が高くなるのだろうなと思います。
そして、いつも前向きで積極的な姿勢。「スーパーポジティブ」と言われるほど、何事もプラスに捉えることが多いですね。例えば、毎日やることが限られている単調なリハビリのトレーニングでも、大谷選手は「楽しい」と言いますし、1年目の開幕前に「二刀流は無理ではないか」と周囲から疑問に思われても、やるべきことを黙々とやり抜く。先入観や既成概念を持たないそのチャレンジ精神が、多くの人を魅了しているのだと思います。
—— カメラを向けていないときの素の大谷選手は、どんな人なんですか?
ノブ斎藤:
報道されている姿とあまり変わらないですね。いつもにこやかで、ナーバスな表情は基本的には見せない選手。裏表のない、オープンな性格だと思います。
メジャーデビューした1年目(2018年)は、世界各国から取材陣が集まり、日米メディアで100人くらい集まったほどでしたが、昨年はその当時より人数が減ったこともあり、囲み取材の時も表情が和らいだ様子が何度か見られました。
今シーズンは、リハビリを終えて二刀流の復活が期待される年なので、シーズンがはじまると、また取材陣も多くなると思います。メジャー3年目に入った大谷選手は、これまでとはまた違った一面を見せてくれるのではないでしょうか。
▲ノブ斎藤さん(写真右)の質問に笑顔で答える大谷選手 提供 エンゼルス
—— 大谷選手の取材で工夫されていることはありますか?
ノブ斎藤:
ある程度ストーリーを考えてから質問はしますが、たいていは思い通りにいきません。大谷選手の答えは、特に野球の技術に関しては難しいこともありますが、話をしっかり聞いた上で、理解しようと心がけています。また、大谷選手だからということはないのですが、話している目を見て、心の動きなどを読みながら、会話のキャッチボールができるようにしたいと思っています。
大谷選手に対する注目度が高いので、日本から取材に来る方や、日本人選手との直接対決の試合などスポットで取材をされるメディアも多いです。僕は幸い、大谷選手をメインに取材できていて、シーズンを通して流れを把握しやすいので、なるべく過去にあった質問や、同じ答えになるような質問はしないように気をつけています。それでも、失敗は多いですが。
2.花形スポーツ記者を辞めて渡米したノブ斎藤さん
▲一時帰国時に所沢なびの取材を受けるノブ斎藤さん 所沢ノードロビーにて
—— 斎藤さんのように、スター選手の担当記者になる秘けつはありますか?
ノブ斎藤:
僕は7年間務めていた日刊スポーツ新聞社を辞めて渡米し、アメリカで就職活動中に、大谷選手の担当記者の話をいただいたんです。辞めてきた会社と再び契約して、もう一度記者をすることになり、ちょっと不思議な感じはしますが…。話を頂いた時は正直、大谷選手がアメリカでもここまで注目されている選手だとは思っていなかったんです。あまりの注目度の高さに最初は驚きましたが、こういう選手の近くで仕事ができる環境に今は感謝しています。運があったのかなと、思いますね。
—— 日刊スポーツの記者を一旦辞めてしまったときの思いをうかがっていいですか?
ノブ斎藤:
大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に就職し、4年間はプロ野球担当記者を務めさせていただいたんですけれど、次第にやりたいことが変わってきて。スポーツって夢や感動を伝えるパワーがある。記事を書くだけでなく、スポーツそのものの運営に関わって、世の中のためになるような何かをしたいと思ったんですよね。
それに、自分が新しいことにチャレンジすることで、自分のキャリアもステップアップできるんじゃないかと。そんな思いが募って、具体的にはノープランの状態で会社を辞めました。
—— 「世の中のためになるような何か」と思いがあるのですから、ノープランといえ、それなりの構想はあったのでは?
ノブ斎藤:
漠然と考えていたのは、スポーツマネジメントへの転職です。スポーツマネジメントが一番発達しているのはアメリカなので、それでアメリカに行こうと思ったんです。
スポーツをスタジアムで観て、その熱狂的な雰囲気を、老若男女、裕福な人もそうでない人も、世界中のどんな人も体感できるような仕組みができたらいいなと。アメリカに行けば、そのような仕事に携われるのではないかと考えていたんですね。
とはいえ、英語が得意というわけでもなかったので、まずは、オハイオ州の語学学校に留学をしました。その間、自分の人生探しのような時間が持てたので、スポーツマネジメントの仕事をするために大学院に行ってスポーツビジネスのMBAを取得しようというプランができました。それが、31歳の時です。
—— やりたいことに突き進むことは素敵ですよね。苦労もされたのでは?
ノブ斎藤:
苦労したのかもしれませんが、終わってみるとあまり感じないものです。大学院に入る前も入ってからも、毎日が勉強勉強の連続。ふと学生時代や会社の同期の人を見ると、みんなしっかり仕事をして自分の道を歩んでいて…。そんな状況に焦りを感じたり、劣等感を感じたりしたこともありました。
3.日本人がアメリカ社会に馴染むには
※MLBイメージ
—— 2016年にサンディエゴ州立大学の大学院に入学し、翌年スポーツビジネスのMBAを取得されたとのことですね。一番大変だったことはどんなことですか?
ノブ斎藤:
大学院の1年間は、会計学、統計学、ファイナンスなどの授業を受け、学科の単位を取得し、その後の半年間はインターン(実習)でした。授業はすべて英語なので、専門的で理解しづらいところは、インターネットでビジネス用語を調べたり、日本語での理解を深めて補いました。それ以上に苦労したことはクラスメートとの関係構築です。コミュニケーションはそこそこできていたのですが、日本の頃のように、何でも打ち明けられる関係が簡単には作れなかったんですね。
—— それはなぜでしょうか?
ノブ斎藤:
文化の違いなのかなと思います。積極的に助けを求めたり、話しかけにいったり、行動をともにしないと、なかなか距離感が縮まらなかった。自分をさらけ出し、自分からどんどん自分のことを発信していくことで、初めて相手は自分を受け入れてくれる。米国で特にそう感じました。
大学院の講義の時も、周りのみんなはどんどん手を挙げて、自分の意見を言うんです。はじめは、それが自分には全然できなくて…。
積極的に発言しないと「意見がない=何も考えていない」とみなされてしまうことがあるそうです。自分でも思っていることはあるんですけど、考える時間もあって、発言することをためらってしまう。思ったことはすぐ口に出す、そういうことが身についていなかった。だから、周りも僕の考えていることが分からず、距離を縮めにくかったのかもしれません。
そう考えると、大谷選手は自然体で自分をさらけ出せているからこそ、チームメイトからも、アメリカのファンからも愛される存在になっているのではないかなと思います。
4.今シーズンに向けて
—— 今シーズンで、大谷選手の取材は、3年目に入りますね。斎藤さんの目標を教えてください。
ノブ斎藤:
大谷選手を見てきて、取材している僕自身が、励みになることや、やりがいをもってコツコツと突き進む大切さを感じることがあります。今年は、これまで伝えきれていない大谷選手の一面を一つでも多く皆さんに伝えることが目標です。大谷選手がいろいろなチャレンジをやり抜こうとしている姿を、いい時も悪い時も、そばで取材しているからこそ感じ取れることや内面的な魅力も伝えていきたいと思います。
ノブ斎藤さんの記事は、日刊スポーツのサイトからも読むことができます。
◆MLBニュース
◆ノブ斎藤さんのコラム「ノブ斎藤のfrom U.S.A」
ノブ斎藤さんのプロフィル
◆斎藤庸裕(さいとう・のぶひろ)米ロサンゼルス在住。
プロ野球担当1年目で担当のロッテがリーグ3位から下克上を果たし日本一を達成したことから、「運が強い記者」といわれている。
・ 所沢市松が丘生まれ(1983年)。所沢市立南小学校時代、地元の少年野球クラブ「カッパーズ」で野球を始める。私立城北学園中学・高等学校卒業。高校3年次、投手・5番打者として夏の甲子園予選の東・東京大会4回戦まで進む。慶應義塾大学文学部卒業。大学時代は、体育会公式野球部に在籍し、4年次に学生コーチを務める。
・ 2007年日刊スポーツ新聞社に就職。プロ野球(ロッテ、巨人、楽天)担当記者等を務めた後、退社。
・2014年に渡米、語学留学。アメリカ・サンディエゴ州立大学大学院に入学し、スポーツMBAを取得。
・ 2017年古巣の日刊スポーツ新聞社とフリー記者契約を結び、2018年2月から、米メジャーリーグ大谷翔平選手の担当記者として取材を始める。
【取材後記】
一時帰国中の限られた時間をやりくりしていただき、所沢なびの取材を受けていただきました。恵まれたキャリアを持ちながらも、高い志を持ち、おごりない斎藤さんの考え方に、どこか、私たちがイメージしている大谷翔平選手に似ているように思いました。スター選手だからこそ抱えている苦労の部分やその感動も斎藤さんだからこそ、理解して伝えてくれることも多いのではないでしょうか。
2020年4月17日現在で、斎藤さんが住むロサンゼルスは、新型コロナウイルスの影響で外出禁止令が3月19日から続き、その状態が5月15日まで延長になったそうです。異国の地での自粛生活は、精神的にもかなりつらい状況ではないかと思われますが、「自分をなるべく律して、しっかり栄養を取りながら頑張っています」とのメッセージを送っていただいています。開幕後の斎藤さんの記事に注目です!
インタビュー取材:2020年1月12日
成田知栄子