戦国時代お城が場所で開催されるまつりはこれ!
こんにちは「所沢なび」ボランティアライターの“ぶん”です。
私が所沢にお城跡があったことを知ったのは、今年3月、生涯学習推進センターで「滝の城跡」の模型を見てからです。
それから、滝の城に関しての文献や資料を調べ、その後、投稿したのがこちら➡「その昔、所沢にお城があった!」記事全文を読む
お城と言えば石垣が高く積み上げられて、白壁の天守閣が高くそびえている。しかし、お城が美しい姿になったのは、天正年間(1579年ごろ)に織田信長が、安土城を築いてからです。
それ以前の城は、天守閣や矢倉門もなく、石垣もあったり、なかったりの、粗末なものでした。
現在の二重堀跡
現在の本丸虎口
戦国滝の城まつり!
「滝の城跡」は、戦国時代の城跡です。
関東管領山内上杉氏の家臣で武蔵守護代などを歴任した大石氏が15世紀後半に築城したとする説が有力です。
その後、後北条氏が支配下となり、支配地拡大のための敵対勢力に対する警戒拠点となりました。
さらに交通の要衝にも位置していたため、河越(川越)や岩付(岩槻)などへの伝達拠点としても重要な役割を担っていました。
しかし、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原攻めによって落城し、その後は廃城となりました。けれども、廃城後も堀や土塁などの遺構がよく残されたため、大正14年埼玉県の史跡として文化財指定されました。
なお、「滝の城」の名前の由来は、城の東側に滝があったことに由来します。
5月21日(日)【第6回戦国滝の城まつり】が滝の城跡で開催された。
午後から寄居鉢形城三鱗会の皆さんによる刀剣を用いて畳表を切り抜く、試し斬り(ためしぎり)が行われた。技術も去ることながらここまで一発で斬れる日本刀の切れ味!
私はそれを見て、ただ釘づけにされ「すごい」という言葉でしか表すことができなかった。
また“武士の作法”という解説があり、刀は左側の腰に差しているためすれ違いざまに、刀の鞘(さや)が相手にぶつかりあい喧嘩になる。そこで武士が歩くときは左側を歩く所作があったんですね。
合戦絵巻では出陣に向けた必勝祈願の儀式が行われ、祝砲がドガーン!ドガーン!と、けたたましい音と陣中の合図に打ち鳴らす陣太鼓が重なりあって、戦国時代さながらである。
そして、出陣前の必勝祈願「三献の儀式(さんこんのぎしき)」が執り行われ、大将と武士は出陣の時、「打ちあわび」「勝ち栗」「昆布」の三品を肴に酒を 大将が三度づつ飲みほす儀式だ。
初めて見る合戦絵巻、解説も分かりやすく、いい「戦国滝の城祭り」だ。
祝砲がドガーン!ドガーン!
陣中の合図に打ち鳴らす陣太鼓。
「戦国滝の城祭り」へ行く道には大勢の人が 多くの人で賑わい、露天商がズラリと並び、所沢地ビール、所沢だんご、狭山茶、たこ焼き、けんちん汁100円、なんと庶民的なお値段だ!
15時40分閉会式が行われ、興奮がさめやらないまま幕が終わった。
資料参考:ところざわふるさと散歩・埼玉県指定史跡・滝の城保存会
模型写真:所沢市生涯学習推進センター