【リポート】令和4年度 吾妻まちづくりセンター教養講座〜地域一受けたい授業〜文学のススメ「文学で旅をする平家の本拠地『京都六波羅』」



吾妻まちづくりセンター・ホールで開催されている教養講座、「〜地域一受けたい授業〜文学のススメ」。今回のテーマは「文学で旅をする」。時間と空間を超えて「京都六波羅」を旅しました。また、講座を受けるのが3回目の私は、及川先生にどうしてもお伝えしたいお土産話がありました。

2022年7月27日 カケミヅ

☆★☆もくじ☆★☆

1.【リポート】「文学で旅をする平家の本拠地『京都六波羅』」
1)柳田國男「浜の月夜/清光館哀史」を読んで〜土地の人の記憶をたどるような旅をしてみたいものですね〜
2)『源氏物語』「夕顔」〜当時の穢れの思想に触れ京都六波羅のイメージを掴む〜
3)『平家物語』第七「忠度都落」〜向かった先は五条三位俊成卿のもとでした〜
2.イーハトーブで銀河鉄道を見たハナシ

 

1.【リポート】「文学で旅をする平家の本拠地『京都六波羅』」

2022年7月27日㈬、令和4年度 吾妻まちづくりセンター教養講座〜地域一受けたい授業〜文学のススメが開催されました。今回のテーマは「文学で旅をする平家の本拠地『京都六波羅』」でした。
 

▲講師は秋草学園短期大学名誉教授、及川道之さん
 
講座の資料は➀京都の地図、➁『源氏物語』「夕顔」からの抜粋、➂『平家物語』第七「忠度(ただのり)都落」からの抜粋。「京都六波羅」をめぐる文学の旅の始まりです。

1)柳田國男「浜の月夜/清光館哀史」を読んで〜土地の人の記憶をたどるような旅をしてみたいものですね〜

及川先生が(一存で)旅の師匠と仰いでいる方が二名いるそうです。一人は日本の民俗学者・官僚である柳田國男、もう一人は小説家の司馬遼太郎。
 
今回の講座は柳田國男の随筆「浜の月夜/清光館哀史」の紹介から始まりました。
 
「高校の『現代国語』に採用されていたので習った方も多いとと思いますが…。」と言われて私は「あ!」と思いました。この美しくも切ない響きの題名は確かに記憶にあります。
 
舞台は小子内(オコナイ。現在の岩手県洋野町)、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』(2013年4月から9月放送)のロケ地の近く、との紹介に、親近感が湧きました。テレビ番組でとは言え、いつの間にかなじみになっていた場所付近です。
 
「浜の月夜」は、ある年の盆の頃、ふと立ち寄った宿での思い出。宿では予想以上の親切なもてなしを受けます。旧暦なので満月の頃。月光の下でその土地の女性だけで踊られる盆踊りを見ます。(その描写がなんとも幻想的!)ところが翌朝になると女性たちは踊りなんて見たこともない、とでもいう風に黙々と日々の仕事をしていました。でも確かに、盆踊りを踊ったあとは地面に残っていて、今晩も月光の下で踊るのだろうな…、と想像したという旅の思い出。

「清光館哀史」は6年後の盆の頃、またふらっと小子内に立ち寄った思い出。一緒に旅をしていた娘に6年前に泊まった宿を、「あの家がそうだよ」と教えようとしたら、あったはずの建物、「清光館」が跡形もなく無くなっていました。以前訪れた時、親切にもてなしてくれた宿の亭主が、暴風雨の日に沖で遭難し、その後一家が離散の運命に見舞われていたのです。
 
講座の後この二つの作品を改めて読んで衝撃を受けました。要約すると「6年前に泊まった宿が無くなっていた」というだけのことなのですが、たったそれだけのことが深く心に響くのが文学の醍醐味。この随筆は本当に魅力的です。
私はどうしてこの作品の内容が自分の記憶に残っていないのか不思議で仕方がありません。題名しか覚えていなかったこの作品と再会できて本当に嬉しく思いました。

及川先生も、歴史には残らないような、その土地の人の記憶をたどるような旅をいつかしてみたいと思っているそうです。そんな思いが込められた講座内容でした。

 

2)『源氏物語』「夕顔」〜当時の穢れの思想に触れ京都六波羅のイメージを掴む〜

『源氏物語』は2008年に千年紀を迎えました。作られた時代を考えればまさに最高傑作に間違いありません。
 
千年も残っていること自体がすごいですし、学生時代の古文の授業の知識で、千年前の言葉を理解できるということのすごさも改めて感じました。
 
それにしても…千年も読み継がれている物語の主人公が決して聖人とは言えない、むしろ駄目男。今だったらどんな攻撃を受けるかわからない、「恋多き男」って…。「それはそれでおもしろいですね。」と及川先生。
 

及川先生の講座では、自分では意識もしていなかったところの面白さを指摘され、毎回「あ!そういえば!」と驚かされます。
 
御所の中で、内々で楽しむために作られたであろう『源氏物語』。紫式部はこんなにも長い年月、想像もできないほど多くの人々によってさまざまな形で伝えられていくなんて想像できたのでしょうか。
 
「夕顔」で、光源氏は17歳。正妻はいるけれど六条に住んでいる「六条の御息所(ろくじょうのみやすんどころ)」という女性の元へも通っています。
ある日重病の乳母を見舞った時に、むさ苦しい場所で偶然ひとりの女性「夕顔」と知り合い、夕顔の元にも通い始め、彼女に夢中になります。
 
六条の御息所の生き霊のようなものが現れて、「夕顔」に対して悪態をつくところ、「夕顔」が息絶える場面では描写の巧みさを味わいました。
 
彼女が住んでいたであろう場所や、彼女が連れ出された先などを地図で辿りました。
また、当時の死に対する「穢れ」の思想などにも触れ、清盛が居を構えた六波羅周辺の場所に対して当時どのような印象が持たれていたのかに思いを馳せました。
 
清盛は御所に近い一等地に居を構えることもできるほどの地位についていたのに、京都の住民の葬地であった鳥辺野に入る際の入口にあたる六波羅に居を構えたのは、貴族ではなく武士であるという想いがあったからではないか、と及川先生。
 

3)『平家物語』第七「忠度都落」〜向かった先は五条三位俊成卿のもとでした〜

『平家物語』第七「忠度都落」は、平家滅亡の後、あまりにも素晴らしい忠度の歌が、平氏が朝敵であるために名前は伏せられて「詠み人知らず」にして一首のみ撰集に入れられたというエピソード。
 
こちらも学校の授業で習っていたので、冒頭の「薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん、…」という懐かしいフレーズを聞いて脳に刺激を受けました。
また、かつて無賃乗車をする輩を、忠度(ただ乗り)にかけて「薩摩守」と呼んでいた懐かしいエピソードも紹介されました。
 
忠度が向かった先は「五条の三位の俊成卿の宿所」。
 
忠度の巻物にあった他の歌はどのようなものだったのでしょうか。何百年も伝わってきた作品もあれば、伝えられることなく消えてしまった作品もある。それは作品の良し悪しは関係なく、運命なのですね。


今回の講座では、「京都六波羅」を時間と空間を超えて旅すると共に、学生時代の教材にも触れ自分の記憶の旅もすることができました。
 
文学を通して馴染みができた「京都六波羅」。かつての五条大路である現在の松原通を、いつかこの講座を思い出しながら実際に巡ってみたい。そしてその時は、講座で読んだ「夕顔」の中で、光源氏が鴨川の堤で馬からすべり降りたのは、鴨川を渡る前だったのか後だったのかと自分なりに検証をしてみたいです。
 

イーハトーブで銀河鉄道を見たハナシ


さて、「吾妻教養講座 〜地域一受けたい授業〜文学のススメ」を受講するのは3回目の私。及川先生に是非お伝えしたい旅の話がありました。
 
実は私…イーハトーブで銀河鉄道を見たのです。
(※「イーハトーブ」は宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。)
 
先生の出身地と知った後の岩手県の旅ではやけに「及川」と言う苗字が目に入ってきました。
 
楽しみにしていた旅行でしたが、当日は昼過ぎから「大雨警報」と「雷・濃霧注意報」。あまりの雨の強さに予定していた観光を中断して宿にトボトボと向かいました。トボトボどころかしょんぼりと言ったところ。
 
向かったのは七時雨(ななしぐれ)山荘。山荘がある七時雨山は環境省に認定された、日本屈指の星空環境。星空が綺麗に見えることで有名な場所です。

▲七時雨山荘
雨でびしょ濡れになった靴を脱ぐと、靴下は泥で汚れてすっかり色が変わっていました。
山荘代表の立花さんも「今日実は星空の観測会があるんです。でもこんな雨ですから、室内の座学になる予定です。」と苦笑い。
 
ただ、少しワクワクしてもいました。それは及川先生の「なめとこ山の熊」の講座を受けた時に先生に教えてもらったことがあるからです。それは「残念な出来事に出会ったら、何か意味があるのではないかと考える」こと。このあとどのような展開があるのかと、淡い期待がありました。
 
諦めた観光の分、夕食までの時間に余裕があったので周囲を少し散策しました。
そこに広がっていたのは、晴れていないからこその幻想的な風景。

七時雨山のことをイーハトーブと呼ぶ人もいるそうです。
 
とても星空は期待できそうになかったのですが、こんな景色に出会えるのもいいものだと撮影を楽しみました。
 
天体に関する座学を受ける時間になって食堂に集まると、講師として来られていた天文台の台長の吉田さんが、「信じられないことに星空なんです。急いで外に出て星空を見ましょう。」と言いました。
 
吉田さんは家を出るまで座学のつもりでいたのに、どうやら晴れるらしいと分かり、急いで野外教室の準備をしたそうです。
実は七時雨の地名は「日に七回、時雨(しぐ)れる山」、天気がよく変わるということから名付けられているのだとか。
 
それにしても、警報や注意報が出ていたのに、こんなに晴れることってあるのでしょうか。

 
吉田さんのワゴン車から出てきたのは勿論(!)所沢に本社があるビクセンの大きな望遠鏡。星座の0等星や一等星にピントを合わせてもらい、参加者は順番に星空観測をしました。
 
私の番になってレンズを覗くと、ちょうど星が流れました。「流れ星!」と言うと、肉眼で空を見上げていた方々からも「流れ星!」と言う声が聞こえてきました。見渡す限りの星空のあちこちで流れていたのです。私もレンズから目を離しました。
そこに突然、チョークで書いたような淡い線が現れました。
 
「あれも流れ星?」「どれ?」「あった!」と、会話ができるほどの時間がありました。
 
いつもより時間がゆっくり流れているように感じました。
 
講師の吉田さんから「流れ星ではありません。あれは、スターリンク衛星です。今からもう少し流れて、60個の粒々に分かれていきます。」と説明がありました。
この説明を2回聞くことができるほどの時間がありました。
 
淡い線だったものが粒々に分かれていく様子を見て、一人の受講生がつぶやきました。「銀河鉄道みたい…。」
宮澤賢治の物語の世界を旅したような気分でした。


 
私がコロナ禍の自粛生活を経て感じたことは、「やっぱりナマが一番だ」と言うこと。
ネットで検索すれば七時雨山周辺の美しい風景の写真や、スターリンク衛星の写真を簡単に見ることができますが、七時雨山荘での実際の体験に勝るものはありません。
たまたま岩手県を訪れた夜、たまたまその時間に晴れ、たまたま星空観測会に出られて、たまたまスターリンク衛星を見ることができて、たまたま居合わせた方が「銀河鉄道みたい」なんてつぶやいためぐりあわせを奇跡と言わずしてなんと表現できるでしょうか。
 
参加者の中にいわゆる「晴れ男」か「晴れ女」がいないか探したこと。結局いて(笑)、みんなで大感謝。翌日の朝食でも「ゆうべはありがとう」とお礼を言うという楽しい時間もありました。
きっともう集まることはできない面々で同じ時間を過ごせた貴重さをしみじみ感じました。
 
以前受講した「なめとこ山の熊」の講座を思い出し、及川先生にこの旅のことを話したい!と思っていたところに、旅に関する講座が開かれたのです!
 
そうか…雨にぬれてがっかりしたのはその後の喜びを大きくするための演出だったのか、と勝手に前向きな解釈をして、そうだとしたら雨が降ったことに対してもっと怒って、もっと残念がった方が良かったのかもしれない、なんて考えました。
 
 
今回の講座を受けて、今度は「人々の記憶をたどる旅」をしたいと思っています。そしてそれを及川先生に報告したい。毎年楽しみにしている教養講座です。
 

▲吾妻まちづくりセンター(吾妻公民館)


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イベント詳細

令和4年度吾妻まちづくりセンター主催
吾妻教養講座〜地域一受けたい授業〜文学のススメ
文学で旅をする平家の本拠地「京都六波羅」

日時:7月27日(水)10時〜12時
場所:吾妻まちづくりセンター(吾妻公民館)・ホール
   所沢市大字久米2229-1 
講師:及川 道之さん(秋草学園短期大学 名誉教授)


七時雨山荘

所在地:〒028-7515 岩手県八幡平市古屋敷96
HP▶︎https://nanashigure.iwate.jp
 

スターリンク衛星

スターリンクとは、イーロン・マスク氏がCEOを務めるスペースX社が提供する、小型衛星を使用したインターネット・サービスで、 その通信を担っている「スターリンク衛星」は、1回の打ち上げで60機がまとめて宇宙に送られる。
 

参考文献

日本近代随筆選1出会いの時 千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重 編(岩波文庫)


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